昨日は東日本大震災から4年ということで、
様々な関連するニュースが流れていましたね。
私は今もなんですが、その頃も長距離通勤をしてまして、
震災の日は都内のビルで働いていて、
そのまま帰れなくなりオフィスで一夜をあかしました。
家に連絡もつかず、何も考えたくなくて、
なぜか一心不乱に仕事してたことを、今もハッキリ覚えています。
ほとんどの人は歩いて帰宅して、
少ない人たちと近くのコンビニで食料を調達したりして、、、
なんだかフワフワしてました。
現実感のない、現実。
余震が来るたびに、フリーズしてたな。。
震災で亡くなった方々のことを、
私は毎日思い出すこともないし、
日々思いを馳せることも、少なくなっています。
私の目の前の現実は、もとに戻ったように見えているから。
でも、そうではない現実に直面し続けている人たちもたくさんいて、
改めて私に出来ることはなんだろう?と、問うた1日になりました。
被災されたご家族の代表スピーチ。
色んなところで流れていましたね。
若い彼女が、向き合わなければならなかった現実は、
胸に迫る描写で、よくぞ泣かずにスピーチしきったなと感心してしまいました。
私は涙し、涙した後にすぐ、母親と小競り合いしたこのギャップ。
これこそが「生きてるってことたなぁ」と思ってしまいました。
よく「起こることすべてに意味がある」というふうに言いますよね。
そうすると、こういった震災で亡くなった人たちもそうなのか?と、
考えが飛躍してしまうことがあります。
確かに、こうした自然災害でなくなった方たちに、
それが必然だったのだとは、口が裂けても言えません。
けれど、このような体験を通して、発せられた彼女からの言葉は、
私たちに強い説得感を伴って、胸に響いたことと思います。
少なくとも私は、そうでした。
そしてこれまでの間ずっと、お母さんの「行かないで」が、
彼女の耳に残り続け、その度に自分を責めるような日々であったのかもしれない、、
と思うとなんて言ったら良いのか、言葉が出ません。
こんなにこんなに苦しい体験でも、
それでもこのことがもたらした、覚悟と決意と体験がそこにあり、
それに私達が影響を受ける、、と思うと、
この連鎖がもたらすものの大きさを感じました。
失ったものは戻ってきません。
けれど、それ以上のものを、これからの人生で得ていく。
私も今までに生きてきて、得ては失い、また失ったままのものも、あります。
ありますが、その後の人生をどうするのかは、
自分次第なんだと改めて感じた機会になりました。
彼女のこれからの人生に、祈りをおくります。