なんだかんだ言って、
結局自分を窮地に追い込んでいるのは、
他の誰でもなく自分かもしれない。
あまりにも物事がスムーズにいかないので、
どうしたものかと思っていた。
この度の引っ越しのことも、
契約に良い日はいつかとか、
いつ引っ越すべきかとか考えていたのに、
なかなか決まらないまま3ヶ月もたって、
申し込みをするも度々のヒューマンエラーがあって、
今までには経験したことのないような流れになっていた。
しかし飽きもせず事態は展開していく(笑)
え!?そうなる!?という。
何もかも相手がある話だから。
この流れに乗ったほうが良いのかなと思っていた。
その流れはお得だった。
その流れは私の希望に沿ったもののように見えた。
でも新たな船に乗り込む寸前で、
私はそれをやめて見送ることにした。
なぜならいつの間にか本来の趣旨とは違う判断基準で、
そのことの良し悪しを決めようとしていたから。
「これで良いんだ」と自分に言い聞かせる度に、
小さな違和感が無視できなくなっていく。
果たしてそれが、
本当に気にしたほうがいいことなのかどうか、
正直わからない。
いや本当に全然わからない。
それで私は私の外に判断基準を求めて、
そこに行くことが良いことか?
いま決めるのが良いことか?
についてたくさん調べてみて、
「どうも今じゃなさそうだ…」
ということになった。
考えるうちに
運が良いとか悪いとかって、
一体なんなんだろう??
わからなくなった。
しかしあまりに物事がスムーズにいかないので、
それこそこういうことを「運が悪い」というのかもしれないなぁと。
間が悪い
タイミングが悪い
判断基準が悪い
ちょっとずつズレているのだ。
更には私の中の計画に沿って進めているつもりが、
そもそもその計画自体があまり良くなかったんじゃないかっていう、
そんな話。
ここで動きを取りやめることは、
痛手だけど、
決めたなら覚悟するしかない。
そしてこの決断や判断が良いのか悪いのかわかるのは、
ずっと先のこと。
でももしもいつか後悔したとしても、
私が私に優しくできれば、
もしかしてそれで良いのかもしれない。
私が何を怖がっているかって、
後悔する選択をしてしまった時に、
私という人から、
しこたま怒られることかもなぁ。
本当に怯えているのは他者でもなんでもなくて、
だから私自身なのかもしれない。
1番自分に容赦しないのは、
この私かもしれない。